なぜピアノを習う?
1.音楽を学ぶ目的
@演奏してみることの意義
何気なくパルティータの一番を聞いていて、音楽が体の中に染み込んで何とも心安らかな
ほっとした気分になり、心の健康を取り戻した実感を改めて感じました。
バッハの音楽には本当に心に安らぎを与える、心が浄化されるようなそういう力があります。
ショパンの甘美な旋律もドビッシ-の和声にもまた心に勇気を与える力を感じます。
音楽に触れて自分自身が生きてて良かったと思えること、心の安らぎを得ること、
音楽をやっている目的はこれに尽きるのだと思います。
(音楽に触れる感動これをここでは「安らぎ」と表現することにします)
この「安らぎ」は良いCDの演奏を聞くことにより得られます。
さらに自分で音楽を表現することにより、もっと大きな感激、満足を得るようになります。
また、自分で表現することは安らぎを感じる上での視点、あるいは感じられる要素が増えることとなり、つまり感激できる「アンテナ」が増えることとなり、音楽を聴く際の「安らぎ」度が増える結果につながることになります。
自分で音楽を表現する場合、単音しか出ない楽器に比べピアノは、音そのものの表現力という点でやや劣るものの、自分一人で対位法、和声の妙を存分に味わうことができるという点でとても満足が得られる道具だと言えます。
A演奏する際の音楽とのかかわり方
楽譜に書かれた表面上の音楽(音)を自分自信で奏でるだけでも、単に聞いているのに比べかなり大きな満足「安らぎ」が得られるわけです。
しかしさらに自分の音楽を表現できた時もっと深く音楽に触れることができ、計り知れない満足「安らぎ」を得ることになります。
ここで言う「自分で音楽を表現する」ということは、
・作曲家の意図したものを表現し追体験できる、という面と
・作曲家の作った土俵を利用して自分の感じたことを表現できる、という面があります。
自分で表現する場合、自分自身の感覚(感じられる感受性の幅と深さ)が重要であることは言うまでもありませんが、それを手助けするためにも音楽(楽譜)を論理的に分析することは重要です。こうすることにより直感では気づかなかった感激に触れることができその結果音楽の表現の幅、説得力のある表現、演奏が可能になるからです。
そしてそれは何より自分自身の音楽から得られる満足度を上げることに他なりません。
B作曲家の意図を知る
作曲家の意図、考えを知ることは、感覚、直感で感じることの裏付けとなったり、表現力
の手助けともなります。従って調整や構造分析などを教育のある段階から取り入れること
が必要と考えます。
例えばショパンに於いてついつい甘美な旋律とすばらしい和声に感動しそこばかりに注目してしまいがちですが、よくよく見てみると対位法を駆使し複雑で効果的な音楽を作り上げていることがわかります。そしてこのような手法がショパンの音楽を、一見た
だきれいな音楽が実は深い面持ちを持つ音楽に為し得ていると一つの理由であると言えます。単に甘美な旋律ときれいな和声でできた音楽がショパンの音楽の価値であるなら、ショパンと同時代一世を風靡したジョンフィールドなどと何ら変わらないこととなってしまいます。
明らかにフィールドの音楽とは、音楽の深さ、感激という点で全く異なることをこのよう
な分析によって誰もが確信できるわけです。
あるいは極めて論理的な構造を持つシューマンの作品の場合はもっと顕著です。
例えば有名な「飛翔」が新しい世界に飛び立つ心の葛藤を表現していることは周知ですが、その葛藤を表現する仕掛けが、Fmolの根音「F」を敢えて隠しその「F」に希望の響きを託していることが論理的にわかれば、当然どの音をどういう音色で弾くべきかが自然と理解できる、というようなことでは端的にわかります。
2.ピアノを習う目的
ピアノを弾くということは、決して音大に行くとかコンクールに入賞するとか、はたま
たピアニストになるとかいうことが最終目的になり得ません。ピアノを通じて自分自身がどれだけ音楽に満足して触れることができ、そして音楽によって自分自身の人生をどれだけ豊かにできるかということに尽きます。だから個人によって、また環境、時代によって個人の音楽(ピアノ)との関わり合い方が異なるのは当然です。
音大に行ってピアニストを目指すことはその一つであることには違いありませんが、最終的に自分自身が音楽によってどれだけの満足を得られるかと言う観点に立った時、それは余りに多くの中の一つの選択肢であることは言うまでもありませんし、あくまで「手段」であることを忘れてはなりません。
技術を学ぶことは表現力を広げる多きな要素ではありますが、道具を磨いたものの表現するものがなく、道具を磨いた自負と自信と見栄だけあるいうのは最大の悲劇です。
前述の通り感受性の幅と深さを広げることと、論理的に音楽を理解する能力を持つことが、磨いた技術を自分の満足に貢献させる上で重要なことです。
音楽のジャンルによって感受性の幅や深さ、また知識の面でそれぞれ広がりがあることは言うまでもありません。
格好良く弾きたいという気持と身体で直接感じるリズム感とベースの刻みと黒人霊歌の歴史の知識のベースを持たずジャズを弾くことがありえないというようなことです。
3.教育
教育の初期の段階から、その段階に応じ、学ぶことの真の目的、本当のこと(音楽に感激でき表現することの喜びを感じること)を見せ続けることが重要です。
また、その真の目的を得るための手段の選択肢(学ぶ上での道筋あるいはジャンルや楽器の選択も含む)についてもなるべく広い範囲で提示し続けることが大切です。決して教育者自信の狭い経験や手法に拘束され押し付けるようなことがあっては(よく見かけることですが)子供をスポイルします。
然るべき時期に本人自らが選択できるよう、常に広い選択肢とその必要性を本人が意識できるよう提示し続けることが、生徒が音楽に積極的に前向きに進められる唯一の方法だといえます。
ピアノのメカニックを教えることは簡単です。単なる訓練だからです。
しかし同時に本人の音楽の選択肢を狭める、極端に言えばピアノの音が世の中で一番きらいにならせること、これも簡単なことです。
メカニックの習得の過程では、常に本物(最終形や理論的裏付け)を見せつつ、現在行っていることはそれへのアプローチであることを本人自身が理解した上で取り組めるよう指導しなくてはいけません。
実はそれはメカニックだけではなく、音楽的表現や奏法、音楽理論に至るまで結果を強要
するのではなく理論的裏付けを以って本人が納得し、つまり音楽的満足を得るための過程
であることを理解した上で前向きに積極的に取り組めるよう進めることが、音楽と遊離し
ないピアノ教育の唯一の解と言えます。
ピアノを弾くことはメカニックの訓練なしにはありえません。
その試練を耐えることは音楽を表現したいという気持ちでしかありえません。
忍耐力と義務感だけで耐えることは真の音楽から遊離するばかりでなく本来の感覚感受性
を損なう大きな要因となりかねません。
だから常に
練習の面倒さ < 音楽的満足を得たいという気持ち
この不等式を満足させるようにしなくてはいけません。
簡単に言えば、とにかくやりたいという気持ちが募れば音楽的満足を得たいという目的を
理解し易くなりますので、このやりたいという気持ちを大切にしかつ育てることが教育す
る上でもう一つの重要な要素となるわけです。
とかく日本の教育において辛抱することが重要で楽しむことは楽をすることでこれは最終
点への到達を妨げるものだというようなこと、滝に打たれて精神を鍛えることが最重要で
あるというような根強い国民性、理念があります。
これを音楽教育に適用することは全くナンセンスであり何度も言うように本来の感覚感受
性を損なう大きな要因としかなり得ません。
これ曲を弾きたい、何かを表現したい、好きな歌をピアノで弾きたい、あるいは単に格好
良く弾きたいなどきっかけは様々であり、その気持ちを大切に捉えまた持続させてあげて
初めて上記不等式を成り立たせられることになります。
技術的に簡単な曲でも音楽的価値が高く満足度の高い曲は山ほどあります。
また個人によって感受性の視点が異なるためそれらの中から本人に合った物を選ぶことが
重要です。
感受性の成長にはばらつきがありますから成長の段階で感じられるものは10人十色です。
本人の特性と成長を見て的確な時期に的確な曲を与えることが何より重要です。
こうして、局面局面では当然
練習の面倒さ > 音楽的満足を得たいという気持ち
となることはありますが、ポイントポイントで
練習の面倒さ < 音楽的満足を得たいという気持ち
を実感させてあげることで真の音楽から遊離せずピアノを練習できることになります。
ここで曲選びということに限定して話しましたが、広く音楽のジャンルから選ぶことは当然ですが場合によっては楽器にさえ拘らない自由さが本人の真の音楽を育てるきっかけになることもあります。
連弾や伴奏、他の楽器とのアンサンブルなども労力を少なくし大きな満足を得る一つの道具であることには間違えありませんが、このような合わせることはもっと別の効果も期待できます。
止められない、相手に迷惑をかけられないなど瞬間的な緊張感これは味わったものにしか分からない一種の「快感」がそこにはありこれは不等式を成り立たせる原動力にもなりえます。
いかなる場合でもこうでなくてはいけないということは極力避け、音楽を表現する環境というか道具というか、条件を出来るだけ広げ本人が音楽を感じられる手助けをするそういうことが重要です。
5.左辺を小さくする方法
ピアノの奏法は様々な研究がなされていますが、あまりに非科学的なものや個性を無視したものも少なくありません。
古典奏法、近代奏法の利点/欠点をよく見極め最も効果的な奏法を指導する必要があります。
効果的な奏法とは
・力をかけない
・きれいな音
・大きな音
・表現力が出る
という要素をもっています。
また、奏法は一義的ではなく個人によりまた成長の過程で異なるべきものですから本人の特性と成長に合わせた奏法の指導が必要となります。