■音楽を学ぶ目的

 

@演奏してみることの意義

何気なくパルティータの一番を聞いていて、音楽が体の中に染み込んで何とも心安らかな
ほっとした気分になり、心の健康を取り戻した実感を改めて感じました。

バッハの音楽には本当に心に安らぎを与える、心が浄化されるようなそういう力があります。

ショパンの甘美な旋律もドビッシ-の和声にもまた心に勇気を与える力を感じます。

音楽に触れて自分自身が生きてて良かったと思えること、心の安らぎを得ること、

音楽をやっている目的はこれに尽きるのだと思います。

(音楽に触れる感動これをここでは「安らぎ」と表現することにします)

 

この「安らぎ」は良いCDの演奏を聞くことにより得られます。

さらに自分で音楽を表現することにより、もっと大きな感激、満足を得るようになります。

また、自分で表現することは安らぎを感じる上での視点、あるいは感じられる要素が増え

ることとなり、つまり感激できる「アンテナ」が増えることとなり、音楽を聴く際の「安らぎ」

度が増える結果につながることになります。

 

自分で音楽を表現する場合、単音しか出ない楽器に比べピアノは、音そのものの表現力とい
う点でやや劣るものの、自分一人で対位法、和声の妙を存分に味わうことができるという点
でとても満足が得られる道具だと言えます。

 

A演奏する際の音楽とのかかわり方

楽譜に書かれた表面上の音楽(音)を自分自信で奏でるだけでも、単に聞いているのに

比べかなり大きな満足「安らぎ」が得られるわけです。

しかしさらに自分の音楽を表現できた時もっと深く音楽に触れることができ、計り知れ
ない満足「安らぎ」を得ることになります。

ここで言う「自分で音楽を表現する」ということは、

・作曲家の意図したものを表現し追体験できる、という面と

・作曲家の作った土俵を利用して自分の感じたことを表現できる、という面があります。

自分で表現する場合、自分自身の感覚(感じられる感受性の幅と深さ)が重要であること

は言うまでもありませんが、それを手助けするためにも音楽(楽譜)を論理的に分析する

ことは重要です。こうすることにより直感では気づかなかった感激に触れることができ

その結果音楽の表現の幅、説得力のある表現、演奏が可能になるからです。

そしてそれは何より自分自身の音楽から得られる満足度を上げることに他なりません。

 

B作曲家の意図を知る

作曲家の意図、考えを知ることは、感覚、直感で感じることの裏付けとなったり、表現力
の手助けともなります。従って調整や構造分析などを教育のある段階から取り入れること
が必要と考えます。

 

例えばショパンに於いてついつい甘美な旋律とすばらしい和声に感動しそこばかりに

注目してしまいがちですが、よくよく見てみると対位法を駆使し複雑で効果的な音楽

を作り上げていることがわかります。そしてこのような手法がショパンの音楽を、一見た
だきれいな音楽が実は深い面持ちを持つ音楽に為し得ていると一つの理由であると言えます。

単に甘美な旋律ときれいな和声でできた音楽がショパンの音楽の価値であるなら、ショパン
と同時代一世を風靡したジョンフィールドなどと何ら変わらないこととなってしまいます。

明らかにフィールドの音楽とは、音楽の深さ、感激という点で全く異なることをこのよう
な分析によって誰もが確信できるわけです。

 

あるいは極めて論理的な構造を持つシューマンの作品の場合はもっと顕著です。

例えば有名な「飛翔」が新しい世界に飛び立つ心の葛藤を表現していることは周知ですが、

その葛藤を表現する仕掛けが、Fmolの根音「F」を敢えて隠しその「F」に希望の響きを

託していることが論理的にわかれば、当然どの音をどういう音色で弾くべきかが自然と

理解できる、というようなことでは端的にわかります。

 

つまりこういう分析により音楽をより深く味わいその結果より深い感激を味わえ、そし
て表現できることとなり、ひいては音楽から得られる感動、満足度というものが飛躍的
に向上するわけです。