発表会のあり方(第16回小さな音楽会より)
「世界に一つだけの花」の歌詞が大好きである。
一人一人が世界に一つだけの花、これはまさに小さな音楽会で第1回から言い
続けていることだからである。
一般に音大において一部の世界に通じる演奏家を育てるため、多くの生徒はそ
の土台と(もっとひどい言い方をすれば肥やしに)なっている、とよく評され
る。
その大学がその威信をかけて、また日本の威信をかけて演奏家を創出するとい
う意味もあり、あながちそれを期待している風潮もあり単に否定されることで
はない。
音楽に限らずスポーツでも勉強でも競う要素があるものは多かれ少なかれその
傾向はあるのである。
しかし音楽に接するということはそういうことだろうか。
一番をとってどういう意味があるのか。
音楽は人それぞれの向かい合い方がありそれは一人一人それぞれのものであり
そこには世界に一つだけの花があるのである。
それを生徒と一緒に見つけるのが、少なくとも町のピアノの先生に課せられた
ことではないのだろうか。
一般に発表会ではともすると優劣をつけてしまう。
いわゆる「うまい子」それが何人かいてその子を聴かせるため、ひきたてるた
め発表会そのものが組み立てられているのである。
しかし音楽は絶対にそれぞれの接し方がありそれぞれの花があるという観点
からは全く誤りである。。
5年生や6年生で始めた子が、当然技術的に劣っているわけだが一般にそう
いう子供は弾きたい、表現したいという気持ちは人一倍であることが多い。
そういう子供を決してひきたて役であるはずがなく、そういう子供もみな一人
一人が輝くべきである。それは一人一人が「世界に一つだけの花」をもっている
からである。
その花を輝かせるのが「先生」の腕であり愛情であり目的であると言っても良い
のである。
ずっと続けられるため、弾きたい気持ちを持ち続けることは大変なことである。
それを引き出し支え援助してあげるそういう指導が必要なのである。
その一つの大きな方策が「曲選び」である。
絶対にこれならどんなにつらくても頑張れる!という曲を一人一人が持ってい
るはずである。
そしてそれに出会えられれば生き生きと自分を表現することができる。
自分を表現したとき、そこにはもう「技術がある」「未熟だ」などとは関係ない、
これが音楽なんじゃないかと思えるようなそういう世界が広がるのである。
人に聴かせたいと言う気持ちが生まれ、これがある演奏は説得力がある。そし
て楽しい気持ちが伝わる。そういうものでなければ何のためピアノをやってい
るのか疑問であるとさえ言いたい。
こういうことを考え続け、第1回から始めた「小さな音楽会」も20年目の16
回を迎えその会が大成功の中終えることができた。
このような趣旨、気持ちに応えてくれる生徒さん、さらにそのご家族に支えら
れ今回は本当に充実した会ができたことを感謝したい。
発表会が終わっても楽しそうに自分の曲を学校で弾いたり、あるいは友達の曲
をそれとなく弾いていたり、そういう楽しい「余韻」が漂っている。
次回も、この成功に甘んじることなくまた新たな挑戦をしながら、生徒さんの
数の「世界に一つだけの花」をステージに飾りたい。
以上