ショパン「子守唄」におけるロマンティシズムについて       2002.10.20

1.ショパンを演奏する場合のフレーズ感
通常ショパンの旋律を捉えるときフレーズ感を極めて大切に考えるものです。
ショパンの場合ポーランドの民謡あるいはジョンフィールドの旋律を連想させる息の長いフレーズ、優美な旋律は特徴的なもので、その息づかいについては細心の注意を払う必要があります。
とはいえ、いわゆるフレーズ感、つまりフレーズの中央に向かってクレッセントしてそしてディミニエンドでフレーズの終わりを迎えるというような通常の解釈がその基本となることは間違えありません。

2.「子守唄」のフレーズ感
しかし、この子守唄(ベルシウス)ではそういう一般的な形でフレーズを捉えることができません。フレーズが終わりかけるとまた次のフレーズが始まりまた次に始まるものが必ずしもフレーズとも捉えられない場合がありそういっている間にまたフレーズの中を泳いでいるという何とも「だらだら」とした煮えきれない感じ、とはいえ明らかにショパンの甘美な渦にはまりこんでいるのではありますが、、、、そうあたかも「まどろんでいる」かのような感じになります、そうなんです、これは子守唄、まどろんで夢現をさまようそのことを狙ってとも思えるのです。

3.「子守唄」の解釈
つまりこのだらだらとした旋律は決定的にショパンの「決め」のフレーズを奏でることなく、フレーズを完結させることなくだらだらとまどろむような弾き方そのものが正統的解釈と言えるのです。
基本の旋律をこのような解釈で捉え、それ以降の変奏部分はその基本を崩すことなく、例えどのように華やかな変奏が有ったとしても、その基本の通りの解釈を通すべきと考えます。
4.「子守唄」におけるロマンティシズム
子守唄というこの曲は、子供を寝かすために奏でるものと言えますが、ショパンの子守唄ではぽかぽかとしたゆったりとした空間で、子守唄の旋律が流れ、そこにまどろむ子供がいて、そういう全体の概念を音楽にしていると言えます。
描写音楽に関しロマン派では単に風景を描写したり気分を音楽化するだけでなくかなり具体的な状況設定やストーリーを元に作曲している(三枝茂彰「音楽の本より」)という見方があります。
上記の解釈は具体的な状況を設定しそこからかもし出される概念とでも言うべきものを音楽表現するという見方ができ、これはまさにロマン派ならではの音楽表現、つまりショパン「子守唄」におけるロマンティシズムとでもいうことができるのかもしれません。