バッハの意外な側面について

1.はじめに
マタイ受難曲や数多くのカンタータあるいは荘厳なミサ曲等から得られるバッハの宗教的な側面、また、音楽教育の基礎と位置付けられていることからか、バッハの音楽には極めて厳格で重厚かつ神聖な象を持つ。このこと自体は間違っているわけではないがそれだけでは語れない意外な側面が多々ある。
以下それらについて述べる

2.世俗的な側面
バッハは当時極めて世俗的なカンタータである「コーヒーカンタータ」を創作し好んで演奏していたようである。
この曲は「食えない娘を持った父の嘆き節」とでも言うのか、ここには宗教的な意味や厳格な側面は微塵も感じられない。
何を条件にしても絶対にコーヒーを辞めない娘に対し婿探しを条件に辞めさせるというたわいも無いテーマである。ここで敢えて特筆したいのは、結婚相手にコーヒー好きの条件を付け結婚もコーヒーも両方とも手に入れるというしたたかな娘の内心をバッハが付け加えているという点である。
全く世俗的なたわいも無い話題に、ちょっとひねった皮肉的な気の利いた部分を付け加えているところに、とても人間的でまた「切れのある」バッハの側面を見るような気持ちになる。

3.数学的幾何学的美学
秩序の極限を追求すると物理学や数学でも同様に見られるようなシンプルな正規化したものに到達するということ。
自然界においても、例えば全く欠けたところのない満月に一種独特の神聖なものを感じたり、あるいは富士山のあまりにバランスの取れた形に誰もが美しいと感じる、そういう秩序のあったものに対し「美」を感じるというのは根本的な人間の持つ感覚と言えるのである。
バッハはこれを音楽(作曲、譜面)という点において追求したといういことである。
このような試みは以降の作曲家に全く見られない、バッハにして始めで最後の試みと思われる。
そしてこれは見事に完成し形を残している。
たった3声の3小節の作品が数百通りの弾き方があることを示唆している3重カノンなどはその典型であり、シンプルな正規化された美をそこには感じざるを得ない。

<参考>6声の3重カノン(このページのBGMとなっている)
バッハの肖像画でバッハが手にしていることで有名なこの曲であるが、この弾き方、解決法は後世になって発見されたというものの、可能性としては480通りもの解決法があるというきわめて謎めいた曲である。
しかも、3声のそれぞれ1小節というものしか書かれていなく、これから多くのことを類推するのであるから本当に神秘的である。
このような自由度があるということは取りも直さず正規化したシンプルな構造がそこにあるため実現できることであり、物理学や数学の真理の部分はきわめて単純である、というようなことと共通点を感じる。
6声の3重カノンの代表的な解釈を以下に示す。

■バッハの作成した原曲(原典の楽譜とも言うべきもの)
 下記の通り3小節×3声のたった9小節の作品である。

■代表的解決例