1.バッハの鍵盤楽器音楽に見られるポリフォニー
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バッハの鍵盤楽器での多声音楽表現は各声部の位置付けから次の2種類に分類してみる。
(a)各声部が常に意識した和声を奏でる合唱のようなポリフォニー
(b)デュオやトリオを思わせるような各声部の独立性が高く「競演」のようなポリフォニー
前者は息の長いコラール等基本的に長めの音符で響きを楽しむというもの。
和声そのものを楽しむことが前提にあるのである。
一方後者の場合は鍵盤の右手と左手の旋律がそれぞれ全く対等にあたかも競演しているという錯覚に陥るくらい自由に動くものである。例えばイギリス組曲のプレリュードやジーグ等では顕著にそれが現れている。対位法により独立した声部を形作るのもこのケースに入る。
ある時はフーガの技法を駆使し、ある時は対位法からだけではとても類推できないような斬新な自由な旋律群が押し寄せ、それでいてそれらが全体の統一を全く保っているという、常識ではとても考えられないすばらしいポリフォニーがそこにはある。
旋律と旋律が重なり合うその瞬間瞬間で見事な和声を構成しまたそれぞれの旋律が見事であるのだから奇跡としか言いようが無い。
尤も反行カノンや蟹行カノン等をいとも簡単に(もしかすると実態は苦渋の末創出していたのかもしれないが)作っていたバッハにとってはこれらは全く奇跡ではないのかもしれなが。 |
2.バッハの先進的和声
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バッハはバロック時代を代表する作曲家で音楽の父とさえ言われている。その後の古典派やロマン派音楽の元になったという捉え方をしがちである。
和声的にはT度,X度を中心とした古典和音が全面に現れた古典派音楽がロマン派音楽ではもっと自由な幅広い和声への展開となる。その後の印象派、国民楽派と各国の個性をその和声に求めるという側面からさらに特徴的な広がりを見せ、最終的には古典和声を壊しながら新しいものを求めていく、という音楽史の流れとなっていく。
こういう音楽史の流れを前提に置いた時バロックの和声は和声の原点、つまり古典和声の元となったものであることから、より単純明快な和声により構成されるという印象を持ってしまいがちである。
しかし、バッハの場合全くそういうことは当てはまらない。
極めて先進的な和声=古典和声学では到底説明できない和声、が随所に使われているからである。
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3.和声が複雑化する必然性
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1項の「バッハのポリフォニー」でも記述したように俗人では全く考えられないようなポリフォニーを全く異なった旋律の組合わせにより生み出すことにより、当然経過的にはとても古典和声では考えられないような和音「不協和音」が発生するわけである。
特にそれぞれの旋律の経過音(倚音や刺繍音)同士が重なり合う和音はかなり複雑な和音となり、その経過的和音についてはその後の順当な解決が特段「先進的和音」の印象が薄れるのである。
しかしもっと驚かされるのは、全く左手が旋律の伴奏に専念しているところでも、セブンスコードやディミニッシュコード(ポップスで好んで使われるコード)が平然と使われていること、これはもう既に偶然ではなく意識して使っているという事実を発見すると、バッハはかなり先進的な和声感をもっていたことになる。
譜例:パルティータ1番より
最後は古典的な和声進行をしているが、それに至る和音についてセブンスを多用しメジャーセブンスからディミニッシュに移行するようなところでは現代でも充分通用する全く古さを感じさせない和声となっていることがわかる。
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